8 「万能の逸材、眦を決す…」
中澤の著作、論文、随想は多岐にわたっている。言うまでもなくライフワークは「鉄の歴史」の日本語訳、注釈、索引(日本翻訳文化賞を受賞)であるが、国旗・国歌問題等の社会問題、政治問題、日本歴史とりわけ近世、明治、昭和史、思想史、ルネサンス、軍事史等々に及び到底凡人の追随を許すものではない。
何と「狭山事件」にも関心を寄せて裁判を傍聴し、ブルクハルトの「ルネサンス」をも研究対象としたのは、兄道夫の友人杉浦明平への接近であったろうか。マキャヴェリ、ペトラルカ、ダンテからヴェルギリウス、プリニウスさらにキケロへと遡る一方、神聖ローマ皇帝(第一帝国)フリードリッヒ2世の劇的生涯にも迫るのである。
鶴見俊輔等とともに「思想の科学」誌の編集にも参画しながらの「幕末の思想家」へのアプローチも圧巻である。「明治維新において、近代化の原動力として決定的役割を演じたのは『尊皇攘夷』論ではなく『開明思想』であるとした見解も極めて説得力が高く、渡辺華山、高野長英、佐久間象山、横井小楠…新井白石、熊沢蕃山、そして本多利明におよぶ検討は驚嘆に値する。自身、その渦にまきこまれた昭和史について「軍人アレルギーを克服して、新しい地平をひらこう」と肉薄したエネルギー、知的好奇心、科学精神は他に類を見ない。
中澤夫妻は二人の子に恵まれた。令嬢伸子が中学2年生のとき詩を創った。
一篇の詩が、たぐい稀な中澤の生きざまを見事に描き切っている。
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大の字になって寝ている 口をへの字にまげた難かしい顔
世界にたった一人しかいない父
何本ものしわが父の顔をとり巻いている
一本一本のしわが 深くきざまれた 47年の苦難の道
正しいと思ったことを 一筋に歩んできた戦いの道
小学校の親友 中学校の親友 高校の親友 大学の親友
いつも変わらぬ友情に生き 青年のように希望にあふれた心
テレビを見ては 時間を無駄にしたと反省ばかりしている父
「心機一転」「眦を決して」ばかりしている父
手紙書きや 整理整頓にうるさく 自分を苦しめた欠点を
子どもに二度と繰り返させまいとする父
お父さんは いつまでも 今のお父さんであってください
[終わり]
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