7 静かな水面
 51年、代々木の松本啓之助の店舗火災で戦火を逃れていた手塚の絵の多くが失われた。現存するのは最近発見された「ガスタンク」を含み五点のみという。
 「ガスタンク」は、山梨県立美術館に東京神田「無限堂」から寄託されている。

 50年、中央大学教授に迎えられ、文学部を中心にドイツ語講座を担当する。定年勇退の80年まで30年間の学究生活を送り、その間に、何点かの訳書・著作を残す。
 53年、シュミートの「ニッポン再発見」を高橋義孝と共訳、「角川新書」として発行された。高橋はトーマス・マンやカフカ等のドイツ近代文学の翻訳、研究者として著名であり、後に、「炎の絵」の出版記念会が開かれた際の発起人代表となった。代表あいさつの中で「中込君は口数が少なく、また書くことも少ない…彼は人と妥協しない…彼は審美眼を持っている。美に対する感覚が異常に鋭く、美を発見する術を心得ている」と紹介した。この席で東大名誉教授手塚富雄も「手塚一夫なる若い画家が炎の人、燃える激しさ持つとしますと、中込君は燃えるものを中に湛えておる静かな水」「一夫が不動明王…中込は菩薩…」と評した。
 55年、中込は、J.ブーロウの「恋愛と友情について」を郁文堂書店から発行した。
 「敗北」した「60年安保」に中込がどのように関わったか、関わらなかったか知る術も必要もない。ただ「杓底一残水」に中込の友人としてその名が挙げられている学者達の業績から、中込の「思想」への大胆な接近を試みる。

 舟木重信は、中込の心情と生活に大きな影響を与えたと思われるドイツ文学者である。敗戦直後、旧制松本高校の教師に懇請された時、「小学校教師になりおうせなかったのに、高等学校は無理だ」と八つ岳山麓で悩む中込の許に、大量のドイツ語の読本、文法書、教科書を担いだ舟木が訪れ励ます。舟木はロマン派の詩人H.ハイネをこよなく愛した。30年代の初頭から、ハイネに就いての無数の論文、著作を発表している。「愛と革命の詩人」としてのハイネの評価を「確定」させたのは舟木と中野重治・井上正蔵である。舟木は岩波、文芸春秋はじめ「人民戦線」、「民主文化」、「政界往来」、「早大大学院紀要」…いたるところでハイネを語った一「革命的政治詩人」「今もなお叫ぶ詩人」としてのハイネを。

 東大のドイツ語科の同級生、佐藤晃一は、中込の回想の中で「ものの真髄を見通す鋭い瞳を隠すように長い睫毛が柔らかくつつみ、真っ白な八重歯が印象的な端麗な容姿」と書かれている。佐藤は一旦、外務省に入ったが40年に郷里の旧制新潟高校教授となり、さらに旧制東京高校、旧制一高の教授、戦後は東京大学教授として活躍した。
 佐藤の遺した幾つかの著作から「真情」を読み取ることは、礼を失するかも知れない。「トーマス・マンとファッシズム」(48・雑誌「文学」)に始まる彼のトーマス・マン研究は多くの作家、研究者にとって導きの糸とされた。辻邦生もその中の一人だった。「世界文学大系」(筑摩書房刊)第100巻にマンの「芸術家と社会」が佐藤によって翻訳紹介されている。解題に佐藤は「マンによれば、審美的なもの、道徳的なもの、政治的=社会的なものは、人間性の問題においては一つのものなのである」とし、最後をゲーテの「人間よ気高くあれ 慈悲深く善良なれ それのみぞ 我らの知る あらゆる存在より 人間を区別する」の詩句で結んでいる。佐藤は67年、50代半ばで病に倒れ、中込を悲しませた。

 62年、中込は中央大学から「Deutsch Sprache fur Fortgeschrittene」(中上級者のためのドイツ語)と「ドイツ語D」を出版。64年、郁文堂から「タブーと魔法」「原始林の教師オーイユンポ」の2冊を出版した。いずれもA,シュヴァイツアーの著作の翻訳である。哲学者・医者・神学者・バッハを中心とする音楽演奏家でありノーベル賞受賞者として高名なシュヴァイツアーが、中込の心をしばらく捉えたと思われる。66年、前記2作を含む「アフリカ物語」全編を訳出、郁文堂から出版した。「アフリカ物語」には、「トレイダー・ホーンの足跡に」「むかし話」「白人の国で黒人の国とちがうところ」「病院での話と情景」「さまざまの話」「ヨーロッパヘ行った黒人ボーイ」の5編が含まれている。19世紀末までにアフリカ大陸の殆どが帝国主義列強によって分割支配され、貧困と病いの苦悩に満ちていた。
 アフリカの大自然とそこに住む住民=黒人に対する率直な愛情、尊敬、理解、忠告と白人の独善性、功利主義への椰輸に彩られた博士のルポルタージュ風の作品を愛した中込の心底には、「高度成長期」に向かい始めたエコノミック・アニマル日本のあり方への危惧が籠められていたかも知れない。

 2001年4月12日、中込忠三は、母のもとへ旅立った。数多い人々がお別れに集まった。静寂、端正な式が中込の人柄を偲ばせた。
 「寂光土」とされる片瀬海岸ではこの日、春の光を映すさざ波が、遠い富士と伊豆の山なみを黄金色に染めていた。

                             一一終わり一一

[ # 採録者注:手塚一夫の絵が見られるところ
  「ガスタンク」・・・山梨県立美術館(山梨県甲府市貢川1-4-27)
  「村娘」・・・旧制高等学校記念館(長野県松本市県3丁目1番1号)
  「船(荒天出航)」・・・旧制高等学校記念館(   〃    ) ]