3 「ヘーゲル 精神現象論」
1920年代後半からの日本にはファッシズムへの傾斜が顕著に見られるようになった。その最も端的な表現が1925年の「治安推持法」の制定である。天皇制を基軸にした権力は自由民権運動を圧殺しながらドイツ(プロイセン)型の似而非立憲君主制による軍事的・半封建的・ポナパルティズム国家の道を歩んでいた。日清戦争・義和団事件・日露戦争等を経過する中で多くの国民も「帝国主義」日本に幻想と期待を抱くに至っていた。20世紀初頭の大逆事件、第一次世界大戦中のロシア革命、その後の米騒動等を背景とする大正デモクラシーは指導理論の貧困、混乱、強力かつ巧妙な弾圧、懐柔の中で運動の方向性を見失い失速してしまう。
労働・農民運動は市民権を確保するに至らず、国粋主義、超民族主義、日本主義が狂熱的な理論家、例えば北一輝、井上日召、大川周明、蓑田胸喜さらに三井甲之等にリードされながら物理的影響力を拡大していった。貧困、「無智」な大多数の民衆、青年将校・兵士の共感がファッシズムを根っこの部分で支えていた。
一部の大学教授、研究者、ジャーナリスト達の努力も先ず共産主義者、無政府主義者が権力の餌食となり、次いで社会主義者、自由主義者が沈黙を強いられていく。新聞等を規制する法律の改悪、共産党の非合法化、関東大震災に乗じた大杉栄等の扼殺、3・15に続く4・16、滝川事件、天皇機関説問題、矢内原忠雄、河合栄治郎、津田左右吉問題等が陰湿な10月事件、5・15事件、2・26事件等と絡みあって、いわゆる「冬の時代」が進行していく。
そうした中で「日本資本主義講座」(岩波書店)が完結した。次いで岩波茂雄は逆風に立ち向かうが如く「大思想文庫」全25巻の刊行に着手する。その構想は以下の通りである。
1
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プラトン |
国家篇 |
久保 勉 |
2
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アリストテレス |
形而上学 |
三木 清 |
3
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旧約聖書 |
浅野 順一 |
4
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新約聖書 |
石原 謙 |
5
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プロチノス |
エネアデス |
出 隆 |
6
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アウグスチヌス |
神の国 |
岩下 壮一 |
7
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ダンテ |
神 曲 |
黒田 正利 |
8
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マキャヴェリ |
君主論 |
羽仁 五郎 |
9
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デカルト |
省察録 |
朝永三十郎 |
10
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スピノザ |
倫理学 |
安部 能成 |
11
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ニュートン |
自然哲学の数学的原理 |
阿部 良夫 |
12
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ライプニツ |
単子論 |
河野 与一 |
13
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モンテスキュー |
法の精神 |
宮澤 俊義 |
14
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ルッソー |
民約論 |
木村 亀二 |
15
|
ヒューム |
人性論 |
大島 正徳 |
16
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スミス |
国富論 |
中山伊知郎 |
17
|
カント |
純粋理性批判 |
天野 貞祐 |
18
|
カント |
実践理性批判 |
和辻 哲郎 |
19
|
ゲョエテ |
ファウスト |
茅野 蕭々 |
20
|
フィヒテ |
知識学 |
桑木 厳翼 |
21
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ヘーゲル |
精神現象論 |
矢崎 美盛 |
22
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コント |
実証哲学 |
田辺 寿利 |
23
|
ラマルク |
動物哲学 |
小泉 丹 |
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ダーウィン |
種の起源 |
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24
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ミル |
功利主義 |
高橋 穣 |
25
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マルクス |
資本論 |
柏崎 次郎 |
26
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ニイチエ |
ツァラツストラ |
立澤 剛 |
エンゲルスや西田幾多郎、田辺 元が入っていない理由は定かではないが、京都学派は三井甲之等によって「その危険性」が非難され始めていたことと関わりがある可能性もある。三井は43年に「読書人」7月号に「西田哲学に就いて警戒すべき諸点」なる論文を発表している。この号は、「哲学者批判特集号」であった。
「大思想文庫21ヘーゲル 精神現象論」の初版刊行は1936(昭和11)年10月10日である。矢崎は41才になったばかりである。B5版約230ページは30代の終わり頃の執筆であった。三木清(1898〜1945)、石原謙(1882〜1976)、出隆(1892〜1980)、朝永三十郎(1871〜1951)、安部能成(1883〜1966)、宮澤俊義(1899〜1976)、桑木厳翼(1874〜1946)、天野貞祐(1884〜1980)、河野与一(1896〜1984)、桑木55才、朝永59才以外は50才未満を主とした若手執筆陣だった。
「ヘーゲル精神現象論」の序説は、次のように書き始められる。
「1806年の8月6日には、皇帝フランツ2世の退位をもって、オットー大帝以来八百余年のあいだ栄誉ある伝統を保ってきた『ドイツ民族の神聖ローマ帝国』はその終焉を告げた。暗雲は全欧州にみなぎり…ナポレオンは、プロシャとの決裂を宣言し、十万余の大軍を督して、電光石火、ブラウンシュワイク侯の率いるプロシャの主軍を追撃して、これをイエナとワイマルの近郊に圧迫した。…その時ヘーゲルは、このフランスの皇帝、この驚嘆すべき偉人、この『世界精神』が路上にむらがる群衆を脚下に睥睨しつつ、馬上ゆたかに歩み行く姿を、目のあたりに見たのである。…」従来の哲学書と全く感覚を異にする「散文」に読者は瞠目する。後の「聖母マリア」における彼の叙述は更に散文的である。
「精神現象論」は、「へ一ゲルはなお教授であると同時に詩人である」との一節を以って終わる。
1927年に九州帝国大学助教授となり、35年同大学教授に昇進した時期の意欲的労作である。本書の内容を詳しく紹介、論評する能力を持たない。
ヘーゲル最初の著作は、矢崎によって初めて日本の学究達に紹介され、多くの読者を得た。刊行翌年、日中15年戦争は一挙に拡大し、厳しい「戦時体制」に入った中にも拘らず本書は少なくとも4版を重ねた。
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